やぁ!
ボクの女房は左ききである。乱雑ではあるが、毎日、弁当を作ってくれる。
で、お昼、(さ〜て、食うか〜。)なんて蓋をあけた時、(ん?)ってなる。
上下左右が、(ん?)なのだ。
だが、わざわざ電話で「おい、どっちが上なんだ?」って聞く人はいない。
どっちでもイイことだからだ。
ものを食いながら女の子のことを考えるのは楽しくなくはない。
が、その日は違った。
(あれっ?)と思ったのだ。(じゃ〜、親子丼に上下左右ってあったっけ?)って。
結論は、いやっ、結論をいそいではいけない。そう思っていた。
昔(むか〜し)、アメリカにジャクソン・ポロックって絵かきがいて、大はやりだった。
「昔は良かった。」な〜んて、屁(ヘ)みたいなことを言うつもりはない。が、そのポロックの絵(?)にだって上下左右はあったはずなのだった。
(親子丼だって、いっしょだろ?)って。
ものごとには、しかるべき姿といったようなものがあるのであって、「どっちでもイイ」などという態度を、ボクは、好まない。
ねっ?
(親子丼にだって上下左右があるのだから、丸いお皿の焼きそばにだって、スパゲティ・ナポリタンにだって、ドライカレーにだって、天津飯にだって、名古屋の「ひつまぶし」にだって、上下左右があるんじゃないか)って。
つまり、それら作品の作者・アーティストの「配置の美学」といったものをこそ尊重すべきではないかって。
ねっ?
が、浅かった。
最後の最後でボクの美しかったはずの仮説は破綻した。
お好み焼き。
お好み焼き。
「津田君?お好み焼きのどこが?」
「・・・。」
0 件のコメント:
コメントを投稿