2014年1月27日月曜日

スッチャデス?

やぁ!

帰りのスッチャデスが悪くなかった。
スッチャデスにしては、ボイン・ボインで、うっふんで、ボクが1番ダメになるタイプだった。
ボクは、おしっこにも行かず、クールにきめたつもりだが、とうとう、口説くことは、できなかった。

そもそも、ボクたちは、好きなタイプのまえでは寡黙であるべきなのだろう。おしゃべり、は、いけない。軽〜く眉間(みけん)にしわをよせて、(も〜、参っちゃったな〜。)って顔を選択するべきだし、大げさに泣くのはさけるべきなのだが、でも、そっと、そっと、涙をみせるのは、タイプの前で、そんなに悪い「手」ではない。「あらっ?どうなさったの?」が期待できるからだ。


あっ!いけないっ!

わたくしは、スッチャデスのために、この文章を書き始めたのではなかった。
わたくしは、ある言葉について考察したかったはずなのだった。それは、
「庭をする。」である。

「庭をする。」

朝、6時半ころ(おいら、二日酔いじゃないも〜ん。)なんて思いながら庭箒(にわぼうき)を持って極寒の庭にたつの。君たちには無理だね。
で、竜安寺の石庭、みたく、「箒(ほうき)」をするの。(ママに、褒めてもらおう。)な〜んて、インチキなことは考えちゃイケないんだよ。そりゃ〜、きびしい「ひととき」さ。でも、ボクは、昔っから自分にたいしてはきびしいんだ。
で、箒が終わったら、今度は、「打ち水」をするの。君たちには無理だね。どうせ、君たちは知るまいが「克己」って言葉があるのね。でも、もう、ボクは、もう、そういった概念とは遠く離れた「ひとりぼっち」の世界に遊んでるってわけさ。
ねっ?

「庭をする。」

イカすだろ?

2 件のコメント:

  1. 克己心....これは、ずっと昔からの僕の座右の銘です。
          でも実践したことは一度も無い。

    返信削除
  2. うん。本当いうとボクも今日まで自分にきびしかったこと1度も無い。

    返信削除